loser's howling for tomorrow

ネタバレ注意。小説、漫画、アニメ、ゲーム、音楽、お笑いのことなんかを書き殴っています

Japan Post Group Kills me

毎日毎日毎日毎日アホみたいに疲れて帰ってきて、休日もその疲れを癒やすためにだらだらと寝散らかす、という生活が一ヶ月ほど続いています。「マージナル・オペレーション」がクソ面白かったり、clavis師匠の「作る・アマガミSSテレビ」で腹抱えて爆笑したり、色々と今年のエポックな体験もしているのですが、なにせ仕事がガンガンに僕のケツを叩くので、いくらインプットが多くてもアウトプットしてる暇などないのです。

でもこれだけは紹介しておきたい、という作品をいくつか。
まずはこれ。


「世界は喜劇だ。そうあるべきなんだ」


神=王雀孫のまさかのシリーズ第二巻(申し訳ないけど絶対出ないと思ってた)。これに関しては言いたいことが多すぎて何から言えばいいのかさっぱりわからん。わからなすぎて批評もクソもない、感想しか言えないといういつもの思い入れ強すぎパターン。
ただ一つ言いたいのは、2巻は1巻の7倍ぐらい面白かったということ。そして次巻はさらにその7倍ぐらい面白くなりそうだと言うこと。なにせ「おれつば」のファルコン成分強めということなので期待しかない。なにせ俺はファルコンが好きすぎてファルコン視点の歌詞を描いてラップした程度に痛い「おれつば」信者なのである。期待するなと言われてもそりゃ無茶だ。
あと、詳しくは述べませんが、僕の言葉が神に届いていたということがここ5年ぐらいで一番うれしかった。
音楽やっててよかった。



「お前の闇を救えるのは、“われわれ”だけだ。少し“われわれ”について話そう。“われわれ”のなすべきこと、その目的について」


名作「車輪の国、向日葵の少女」や傑作「G線上の魔王」などのゲームシナリオでその地位を確立した風雲児、るーすぼーいのライトノベルデビュー作。とは言ってもるーすぼーいが風雲児だったのは先述の「G線上の魔王」辺りまでで、色々情報だけは聞こえてくるけどいま何をやってるのか(書いてるのか)ユーザーにはさっぱりわからん、といった立ち位置の人だった。今年リリースされた「僕の一人戦争」はヴォネガットの「スローターハウス5」をるーすぼーい風に翻案したかのような作風で、つまらなくはなかったが、「るーすぼーい is Back !!」と大声を出せるほどの出来ではなかった(個人的にね)。ロミオも丸戸も王雀孫も形は違えど奮戦していたとき、スランプだったのか何なのか、静観を決め込んでいた(ように見えた)のもマイナスイメージだった。
というところでこれ、「白蝶記」のリリースである。
一読して、首を傾げた。あれ、こんなもんかやっぱり。るーすぼーい枯れちゃったのかな。いやしかしそれにしては何か何処かひっかかる。きっとこれは読み飛ばしてはいけない作品だ、何度か読んでやっと何かわかったような気がする作品だ、と読み進めるたびにそういう確信が深まっていった。
そしてあのラストである。
やられた、と思った。
何の説明もない、一見すればただの次巻への伏線であるかのような会話で作品は幕を閉じる。実際Amazonなんかのレビューを見ると、「ラストが次巻への露骨な含みで萎えた」だとかいう意見が多いようである。だが僕に言わせるとそれこそ的外れな意見である。この作品はあのラストのシークエンスで完全に完結している。唐辺葉介の「PSYCHE」がそうであったかのように、余計な物など何もない。ある必要が無い。
ひさしぶりに「ライトノベルの皮を被った何か」を読まされた気がした。とか言っててサラッと続巻が出るかもしれないが、その時は自分がるーすぼーいを過大評価したというだけの話である。

まあ続巻どうのこうのは置いておいて、るーすぼーいという作家は自分の知る限り(「その横顔を見つめてしまう」ぐらいからしか知らないのだが)常に「当たり前にある現状」についての疑問を投げかけてきた作家だった。反体制的と言ってしまってもいいぐらいには。るーすぼーい作品の主人公、ヒロインたちは常に現状に不満を持ち、何かを壊したい、どこかへ行ってしまいたい、という鬱屈を抱えた人物像として描かれてきた。彼らは、あるいはその現実に妥協し、あるいはその現実から逃れようとし、あるいは表現という形で世界への疑問を投げかけてきた。結果として彼らは逃れられないことを知り、現実に妥協することも多いのだが、自分に言わせると結果は問題ではない。「抗う」という姿勢こそが、彼らをるーすぼーい作品の登場人物であり、るーすぼーい自身の思想を体現させるためのキャラクタたらしめていたのだ。「最初から疑問すら抱かなかった」と「抗ったが自分の力ではどうにもならなかった」とでは0と1ぐらい違う。
そういった「るーすぼーい的なキャラメイキング」は今作でも十二分に発揮されている。なにせ主人公たちには逃げるべき場所、原点すら最初からない。逃げ出したい、逃げ出さねば、ただそういった想いが空回りするだけで、現実的な着地点は一見どこにもない。しかし物語が進むにつれ、あるぼんやりとした光が灯される。そして同時に現れる深い深い闇。
「逃避」だけに拘るのなら、彼らはどちらの方へ向かっていてもおかしくはなかったはずである。
だがそう、るーすぼーい作品においてなら、いくらその先の闇を強烈に予感させるものであっても、彼らは(特に彼は)一瞬のきらめきを摑むために駈けだし、そして辿りつくのだ。
光とも闇ともしれぬ、未知の場所へと。
叙述トリックやどんでん返しなんかではなく、自分はるーすぼーいのこういう所に惹かれて、目を離せなくなっていたのだと、強く再確認させてくれた作品だった。