loser's howling for tomorrow

ネタバレ注意。小説、漫画、アニメ、ゲーム、音楽、お笑いのことなんかを書き殴っています

たとえば僕が死んでも

どうも負け犬です。最近記憶力の衰えがガチでえらいことなってまして、せめてこれだけは忘れてはならない、という作品をアーカイブするために少し書きます。備忘録なので別に読んで頂かなくてけっこうです。


麻耶雄嵩 「夏と冬の奏鳴曲」

夏と冬の奏鳴曲(ソナタ) (講談社文庫)

夏と冬の奏鳴曲(ソナタ) (講談社文庫)

「おれは、老いたライオンを目がけて弧を描きながら舞い降りる、選ばれた禿鷹みたいだ」


 推理小説(ミステリ)の世界で1990年頃に勃発した「新本格ムーヴメント」。
 その第二世代の筆頭として挙げられる作家、麻耶雄嵩の、第二作にして最高傑作(と言われています)。
 そもそも「新本格」とカテゴライズされる作品には、少なからずアンチミステリとしての側面が備わっており、
 それはつまり日本のミステリというものが本質的にアンチミステリなのである、とかそういう話は笠井潔さんあたりが
 散々語っておられるので、ここでは単に小説としての「夏と冬の奏鳴曲」を語りたいと思います。
 まずこのタイトル。
 当時高校生の僕などはこの厨二臭にクソやられてしまったものですが、およそ10年後に韓国ドラマで
 「冬のソナタ」という例のアレが大ヒットしてしまい、今となっては少々気恥ずかしい思いを抱かせてしまう、
 まあなんとも言えないタイトルに成り下がってしまいました。
 というのはどうでもよくて、とりあえず僕のこの作品への愛を臆面も無く語ってしまいましょう。
 はい、ここまでが前振りです。長いですね。ぜひ読み飛ばして下さい。
 では……という感じで語り始めたいのですが、この作品を語るには、ミステリ的にもアンチミステリ的にも、
 ネタバレが不可欠なものにならざるを得ないのです。ほとんどのミステリ作品がそうだったりしますが、これは特にずば抜けてネタバレ無しには語りにくい。なので、無茶苦茶好きな小説なんですが、サラッと流して比較論とかでお茶を濁します。
 さて本題。この作品には三作の続編と一作の姉妹編が存在します。
 「翼ある闇」、「痾」、「あいにくの雨で」、「木製の王子」という四作がそれに該当するのですが、
 ここではとりあえず「あいにくの雨で」は無視します。好き嫌いの問題ではなく、「あいにくの雨で」は、
 他の三作とは決定的に異なる部分があって、要するに「夏と冬の奏鳴曲」の語り部であり主人公である
 如月烏有が登場しないのです。
 厳密に言えば「翼ある闇」にも烏有さんは登場しませんが、「翼ある闇」と時系列をほぼ同じくする作品が
 如月烏有シリーズに存在するので、まったく個人的なより分けですが、「翼ある闇」は「如月烏有シリーズ」の
 一つであると僕は捉えています。
 
 さて、そうやって「如月烏有シリーズ」を定義づけてみて、だから何なんだと問われれば、
 つまりこのシリーズは、たとえば大江健三郎の「個人的な体験」や、島田雅彦の各作品などに通じるところのある、
 ひとことで言ってしまえば「アンチ・ビルドゥングス・ロマン」の系譜に連なる作品なのだと僕は思うのです。
 ビルドゥングス何ちゃらの意味からして理解できないという方は取りあえずググってください。
 インターネットは便利です。ネットは広大です。
 …はい!ビルドゥングスロマンをわかって頂けた体で話を続けます。
 かなりの憶測も混じりますが、大江健三郎が「個人的な体験」を書いたときに主題に置いたであろう感情は、
 「はたして自分は(世間一般で言われる)成長というものをどう捉えているのだろうか?」という、
 現代作家としてはしごくまっとうな疑問であったのではないかと思われます。
 そして「個人的な体験」を読めばわかりますが、語り部である鳥(バード)は無意識的にこの疑問を強く抱いている
 人間として描かれています。バードにとって成長とは「大人社会への仲間入り」です。
 ですがバードの恋人が身ごもっているのは身体障害児。このハンデを背負ってまで大人になる、ということに
 バードは強い違和感を抱くのですが、それならば中絶させてしまえ、というところまでは(考えはしても)
 踏み切ることができない。成長する(大人になる)ことへの忌避感が生じつつも、バードはそんな自分への
 嫌悪感も捨てきれず、ただただ流されるままに苦悩する。
 「個人的な体験」という小説は、つまりそういう作品です。アンチ・ビルドゥングスであり、文学ですね。
 だけどバードの持つモラルと個人的な感情の葛藤がものすごく現代的で、それゆえに名作と賞賛される作品であります。
 
 さてさて、ようやく如月烏有シリーズを語る土壌ができました。
 ここでブチ上げてしまいますが、如月烏有=鳥(バード)なんですね。
 バードに通ずる「烏」という文字が主人公の名前に使われているのは偶然ではないのです(多分)。
 「烏有」という彼の名が「何もない」ことを表す言葉であることなんてガン無視です。
 烏有はバードなんです!
 …と、ここまで無理押しして自説を展開させようとするのにはそれなりの根拠がありまして、つまりそれは
 さきほど述べた「如月烏有シリーズ」と「個人的な体験」に共通するアンチ・ビルドゥングスとしての側面なのです。
 「夏と冬のソナタ」を初めとするシリーズ内を通して、如月烏有は、常に現代的モラトリアムな青年として描写されます。
 そんな彼なのに、バードの恋人が身体障害児を身ごもったように、如月烏有もまたその成長の過程で洒落にならないハンデ
(というよりトラウマ)を背負わされています。さらに「夏と冬の奏鳴曲」作中に於いて、トラウマなんてもんじゃない、
 もっとえぐいものの片鱗を味わったぜ…となるわけです。
 だけど、いくらアンチ・ビルドゥングスとはいえ、そこはミステリというエンターテインメントの世界。
 如月烏有は、かなりの力業ではありますが、そのトラウマを乗り越え、物語をハッピーエンドへ導くのです。
 このあたりの描写はメンタルがごっそり削られて、読んでいてしんどい部分ではありますが、
 物語としては核心に踏み込んでいるので、もうここまで来たら最後まで読まざるを得ないと思わせてしまうところでもあります。
 ここまでミステリ作品としてのトリックなんかにはまったく触れてきませんでしたが、終盤の超トリックなんかも
 手伝って、クライマックス感の演出が半端ねえわけです。
 そういった物語としてのカタルシスに、あれよあれよと身を任せていると、
 物語は実は結構あっさり幕を閉じます(ある一文を除いて)。
 ここで終わっていれば、アンチ・ビルドゥングスの側面も持ちながら、実は正統派ビルドゥングスロマンの名作として
 後世に語り継がれていたかもしれませんが…
 この先は語りません。ぜひ最後まで読んで下さい。
 そして、もしこの物語を気に入ってしまったなら、続編である「痾」、「木製の王子」を読むことをオススメします。
 作者のデビュー作であり、気になるところで挟まれるエピソードの元ネタである「翼ある闇」に手をつけるのもいいでしょう。
 そして最後に、姉妹編というかむしろスピンオフ作品である「あいにくの雨で」を読むのもあなたの自由です。
 

 ※島田雅彦についても関連づけて語りたかったのですが、これ以上とっちらかった文章でお目汚しするのは気が引けたので…
  機会があればもう少し深く、文学としての麻耶雄嵩について語りたいと思います。

 
 ※※「夏と冬の奏鳴曲」は実はキャラクタ小説としてもものすごくポテンシャルが高くて、ヒロインポジションに居る「舞奈桐璃」とい
 うキャラは、マイルドヤンキーにしてオタサーの姫、それでいて主人公の幼なじみでありツンデレ妹的ポジションという、いわゆる
 「萌え要素」すべてを内包した反則的ポジションにいる存在として描かれています。
 そんな娘いていたらミステリとか言ってる場合じゃないやん!完全にラノベやん!
 もしそんな反論があるならば答えます。
「この作品は狭義の意味で読み解くならば現在では「ライトノベル」として扱われるかも知れませんが、そんなことをものともせずにミス
 テリマインドに溢れた超傑作なのであります」と。
 個人的オールタイムミステリベスト1。


山口雅也 「奇遇」

奇偶

奇偶

「これは絵空事ではない。私は」


「ミステリ界に於ける5つめの奇書」、と呼ばれる、文字通りの怪作。ちなみにまずミステリ界には「3大奇書」と定義づけられている作品がありまして、それは「ドグラ・マグラ」「黒死館殺人事件」「虚無への供物」ですね。
そこをもし、あえて4大奇書とするならば、竹本健治匣の中の失楽」が加えられるだろうと言われていました。それから10年余、現れてしまいました。5大奇書にその名を連ねるべき作品が。
発表からけっこう時間が経っていますし、いま読むと、例の「3大奇書」ほどではなくても、若干の古さを感じてしまうかもしれません。それでも読んで欲しい、歴史に名を残すべき作品です。私小説でありメタフィクションでありメタミステリ。かの筒井康隆の「パプリカ」すら及ばない次元だと自分は思っています。メタフィクション好きは読んでみるべきじゃないでしょうか。


井上夢人 「メドゥサ、鏡をごらん」

メドゥサ、鏡をごらん (講談社文庫)

メドゥサ、鏡をごらん (講談社文庫)

「おまえたち、みんな死んでしまえ」


メタミステリと本格ミステリを融合させた偉人、井上夢人の最大の問題作と言われる作品です。ホラー風味をも内包しているので、怖い話が嫌いなら読まない方がいいかと思われます。これも○大奇書に加えられてもいいんではないかと思えるほどにミステリ界への挑戦状を叩きつけています。この作品、僕は買う前に書店で全部立ち読みで読破してしまったんですが、それでも買いました。それほどの引力を持ち合わせている、ミステリにしてアンチミステリの大傑作。
井上夢人といえば処女作「ダレカガナカニイル…」(これもアンチミステリの傑作でしたが))とか、エンターテインメントの極地に立ち戻った「オルファクトグラム」などが注目されがちですが、井上夢人文体がよっぽど気にくわないというのでなければ、全ミステリファン、アンチミステリファンにとって必読の書であると言い切ってしまいます。今まで読んだミステリ作品の中で、麻耶雄嵩の「夏と冬の奏鳴曲」に、もしかしたら肩を並べられ得るかもしれない唯一の作品です。


島田荘司 「異邦の騎士」

「陽気なやつでも聴こうよ」


僕が現代ミステリにはまった最大の切っ掛けがこの作品でした。ミステリなのでネタバレは避けます。今読むとベタな感じもあるんですが、ルサンチマンを内包したロマンティシズムを描写した小説としては未だに最高峰といえる小説です。新本格ミステリの原典にして誰もが越えられない壁として君臨し続ける作品。エロゲ界におけるクロスチャンネル、というと言いすぎかも知れませんが…