loser's howling for tomorrow

ネタバレ注意。小説、漫画、アニメ、ゲーム、音楽、お笑いのことなんかを書き殴っています

Breed

よほどのことがない限り、今年のNO.1読書体験はこれで決定でしょう。つい最近友人に勧められて読んだ「子供はわかってあげない
も無茶苦茶よかったのですが、このインパクトは越えられません。
そう、あの漫画の待望の第二巻!


施川ユウキバーナード嬢曰く。」2

「本を開くたび閉じるたび
 私は世界から世界へ移動する
 時間も天気も関係ない
 すごいことだ
 異世界から戻ったあと
 私はときどき高ぶって
 そのまま走り出したくなる」


読書家に見られたくて仕方ない少女、町田さわ子(自称バーナード嬢)は、今日も今日とて未読の本を既読であるかのようにみせかけることにのみ心を砕くのでした。
ただそれだけの漫画です。それだけなのにこんなにも面白いのは、ひとえに施川先生の本への愛ゆえなのでしょう。アシモフ、クラーク、ハインラインブラッドベリティプトリー、ディック、シモンズ、ヴォネガット、コーニィ、イーガン、ピンチョン、ホーガン、チャン、レム、ウェルズ、オーウェル、バラード、マッカーシー、パラニューク、まだまだあるけどひとまず海外SF作家をちょこっと挙げるだけでこの量。ミステリや純文学はSFに比べるとあまり登場しませんが、それでも三大奇書プルースト、ガルシアマルケスといった難解どころまで押さえてあるところから鑑みるに、相当の量読んでらっしゃるようです。
普通こういうのをやるとひけらかしっぷりが嫌味に見えてしまうものなのですが(似たような傾向の漫画「今日のハヤカワさん」ですら少し鼻につく部分がありました。大好きな漫画なんですが)、文字通り等身大の主人公、町田さわ子のアホの子っぷりがあるだけでこんなに親しみやすくなるんですね。キャラクタ造形ってのはこうあるべきだと力説してしまいたくなります。さわ子の友人、SF好きの神林さんやシャーロキアンの長谷川さん、そしてさわ子に想いを寄せる(?)遠藤君といった脇役のキャラも存分に立っていて、普通にキャラクタものとしても楽しめるかと思います。
さすがに登場する書名、作家名をまったく知らない人には楽しめないかも知れませんが、そんな日本人多分ほとんど居ないでしょう。漱石、太宰、宮沢賢治ぐらいなら教科書で名前見たことあるなーというレベルでも(たぶん)十分面白い。
そしてもちろん知っていれば知っているほど面白い。SF好きがディックに対して抱いてしまう「なんか特別」感とか、太宰を語る著名人に対する妙な上から目線とか、村上春樹に対してどういうスタンスを取るべきか問題とか。読書家と読書家を気取っている人々にとって究極のあるあるパターンなんじゃないでしょうか。
かくいう自分も今作に登場する作品の半分も読んでいない(叙述トリック)のですが、1巻から通して読んで37回ぐらい爆笑しました。


※上で紹介した一文は長谷川さんが雨宿りしながら伊藤計劃×円城塔の「屍者の帝国」を読むシーンで独白する台詞です。作風に見合わない本への愛に溢れた言葉ですが、「ネタ」という形で照れ隠しばかりしている施川先生の本音が漏れてしまっているみたいで、僕が一番好きなシーンです。

たとえば僕が死んでも

どうも負け犬です。最近記憶力の衰えがガチでえらいことなってまして、せめてこれだけは忘れてはならない、という作品をアーカイブするために少し書きます。備忘録なので別に読んで頂かなくてけっこうです。


麻耶雄嵩 「夏と冬の奏鳴曲」

夏と冬の奏鳴曲(ソナタ) (講談社文庫)

夏と冬の奏鳴曲(ソナタ) (講談社文庫)

「おれは、老いたライオンを目がけて弧を描きながら舞い降りる、選ばれた禿鷹みたいだ」


 推理小説(ミステリ)の世界で1990年頃に勃発した「新本格ムーヴメント」。
 その第二世代の筆頭として挙げられる作家、麻耶雄嵩の、第二作にして最高傑作(と言われています)。
 そもそも「新本格」とカテゴライズされる作品には、少なからずアンチミステリとしての側面が備わっており、
 それはつまり日本のミステリというものが本質的にアンチミステリなのである、とかそういう話は笠井潔さんあたりが
 散々語っておられるので、ここでは単に小説としての「夏と冬の奏鳴曲」を語りたいと思います。
 まずこのタイトル。
 当時高校生の僕などはこの厨二臭にクソやられてしまったものですが、およそ10年後に韓国ドラマで
 「冬のソナタ」という例のアレが大ヒットしてしまい、今となっては少々気恥ずかしい思いを抱かせてしまう、
 まあなんとも言えないタイトルに成り下がってしまいました。
 というのはどうでもよくて、とりあえず僕のこの作品への愛を臆面も無く語ってしまいましょう。
 はい、ここまでが前振りです。長いですね。ぜひ読み飛ばして下さい。
 では……という感じで語り始めたいのですが、この作品を語るには、ミステリ的にもアンチミステリ的にも、
 ネタバレが不可欠なものにならざるを得ないのです。ほとんどのミステリ作品がそうだったりしますが、これは特にずば抜けてネタバレ無しには語りにくい。なので、無茶苦茶好きな小説なんですが、サラッと流して比較論とかでお茶を濁します。
 さて本題。この作品には三作の続編と一作の姉妹編が存在します。
 「翼ある闇」、「痾」、「あいにくの雨で」、「木製の王子」という四作がそれに該当するのですが、
 ここではとりあえず「あいにくの雨で」は無視します。好き嫌いの問題ではなく、「あいにくの雨で」は、
 他の三作とは決定的に異なる部分があって、要するに「夏と冬の奏鳴曲」の語り部であり主人公である
 如月烏有が登場しないのです。
 厳密に言えば「翼ある闇」にも烏有さんは登場しませんが、「翼ある闇」と時系列をほぼ同じくする作品が
 如月烏有シリーズに存在するので、まったく個人的なより分けですが、「翼ある闇」は「如月烏有シリーズ」の
 一つであると僕は捉えています。
 
 さて、そうやって「如月烏有シリーズ」を定義づけてみて、だから何なんだと問われれば、
 つまりこのシリーズは、たとえば大江健三郎の「個人的な体験」や、島田雅彦の各作品などに通じるところのある、
 ひとことで言ってしまえば「アンチ・ビルドゥングス・ロマン」の系譜に連なる作品なのだと僕は思うのです。
 ビルドゥングス何ちゃらの意味からして理解できないという方は取りあえずググってください。
 インターネットは便利です。ネットは広大です。
 …はい!ビルドゥングスロマンをわかって頂けた体で話を続けます。
 かなりの憶測も混じりますが、大江健三郎が「個人的な体験」を書いたときに主題に置いたであろう感情は、
 「はたして自分は(世間一般で言われる)成長というものをどう捉えているのだろうか?」という、
 現代作家としてはしごくまっとうな疑問であったのではないかと思われます。
 そして「個人的な体験」を読めばわかりますが、語り部である鳥(バード)は無意識的にこの疑問を強く抱いている
 人間として描かれています。バードにとって成長とは「大人社会への仲間入り」です。
 ですがバードの恋人が身ごもっているのは身体障害児。このハンデを背負ってまで大人になる、ということに
 バードは強い違和感を抱くのですが、それならば中絶させてしまえ、というところまでは(考えはしても)
 踏み切ることができない。成長する(大人になる)ことへの忌避感が生じつつも、バードはそんな自分への
 嫌悪感も捨てきれず、ただただ流されるままに苦悩する。
 「個人的な体験」という小説は、つまりそういう作品です。アンチ・ビルドゥングスであり、文学ですね。
 だけどバードの持つモラルと個人的な感情の葛藤がものすごく現代的で、それゆえに名作と賞賛される作品であります。
 
 さてさて、ようやく如月烏有シリーズを語る土壌ができました。
 ここでブチ上げてしまいますが、如月烏有=鳥(バード)なんですね。
 バードに通ずる「烏」という文字が主人公の名前に使われているのは偶然ではないのです(多分)。
 「烏有」という彼の名が「何もない」ことを表す言葉であることなんてガン無視です。
 烏有はバードなんです!
 …と、ここまで無理押しして自説を展開させようとするのにはそれなりの根拠がありまして、つまりそれは
 さきほど述べた「如月烏有シリーズ」と「個人的な体験」に共通するアンチ・ビルドゥングスとしての側面なのです。
 「夏と冬のソナタ」を初めとするシリーズ内を通して、如月烏有は、常に現代的モラトリアムな青年として描写されます。
 そんな彼なのに、バードの恋人が身体障害児を身ごもったように、如月烏有もまたその成長の過程で洒落にならないハンデ
(というよりトラウマ)を背負わされています。さらに「夏と冬の奏鳴曲」作中に於いて、トラウマなんてもんじゃない、
 もっとえぐいものの片鱗を味わったぜ…となるわけです。
 だけど、いくらアンチ・ビルドゥングスとはいえ、そこはミステリというエンターテインメントの世界。
 如月烏有は、かなりの力業ではありますが、そのトラウマを乗り越え、物語をハッピーエンドへ導くのです。
 このあたりの描写はメンタルがごっそり削られて、読んでいてしんどい部分ではありますが、
 物語としては核心に踏み込んでいるので、もうここまで来たら最後まで読まざるを得ないと思わせてしまうところでもあります。
 ここまでミステリ作品としてのトリックなんかにはまったく触れてきませんでしたが、終盤の超トリックなんかも
 手伝って、クライマックス感の演出が半端ねえわけです。
 そういった物語としてのカタルシスに、あれよあれよと身を任せていると、
 物語は実は結構あっさり幕を閉じます(ある一文を除いて)。
 ここで終わっていれば、アンチ・ビルドゥングスの側面も持ちながら、実は正統派ビルドゥングスロマンの名作として
 後世に語り継がれていたかもしれませんが…
 この先は語りません。ぜひ最後まで読んで下さい。
 そして、もしこの物語を気に入ってしまったなら、続編である「痾」、「木製の王子」を読むことをオススメします。
 作者のデビュー作であり、気になるところで挟まれるエピソードの元ネタである「翼ある闇」に手をつけるのもいいでしょう。
 そして最後に、姉妹編というかむしろスピンオフ作品である「あいにくの雨で」を読むのもあなたの自由です。
 

 ※島田雅彦についても関連づけて語りたかったのですが、これ以上とっちらかった文章でお目汚しするのは気が引けたので…
  機会があればもう少し深く、文学としての麻耶雄嵩について語りたいと思います。

 
 ※※「夏と冬の奏鳴曲」は実はキャラクタ小説としてもものすごくポテンシャルが高くて、ヒロインポジションに居る「舞奈桐璃」とい
 うキャラは、マイルドヤンキーにしてオタサーの姫、それでいて主人公の幼なじみでありツンデレ妹的ポジションという、いわゆる
 「萌え要素」すべてを内包した反則的ポジションにいる存在として描かれています。
 そんな娘いていたらミステリとか言ってる場合じゃないやん!完全にラノベやん!
 もしそんな反論があるならば答えます。
「この作品は狭義の意味で読み解くならば現在では「ライトノベル」として扱われるかも知れませんが、そんなことをものともせずにミス
 テリマインドに溢れた超傑作なのであります」と。
 個人的オールタイムミステリベスト1。


山口雅也 「奇遇」

奇偶

奇偶

「これは絵空事ではない。私は」


「ミステリ界に於ける5つめの奇書」、と呼ばれる、文字通りの怪作。ちなみにまずミステリ界には「3大奇書」と定義づけられている作品がありまして、それは「ドグラ・マグラ」「黒死館殺人事件」「虚無への供物」ですね。
そこをもし、あえて4大奇書とするならば、竹本健治匣の中の失楽」が加えられるだろうと言われていました。それから10年余、現れてしまいました。5大奇書にその名を連ねるべき作品が。
発表からけっこう時間が経っていますし、いま読むと、例の「3大奇書」ほどではなくても、若干の古さを感じてしまうかもしれません。それでも読んで欲しい、歴史に名を残すべき作品です。私小説でありメタフィクションでありメタミステリ。かの筒井康隆の「パプリカ」すら及ばない次元だと自分は思っています。メタフィクション好きは読んでみるべきじゃないでしょうか。


井上夢人 「メドゥサ、鏡をごらん」

メドゥサ、鏡をごらん (講談社文庫)

メドゥサ、鏡をごらん (講談社文庫)

「おまえたち、みんな死んでしまえ」


メタミステリと本格ミステリを融合させた偉人、井上夢人の最大の問題作と言われる作品です。ホラー風味をも内包しているので、怖い話が嫌いなら読まない方がいいかと思われます。これも○大奇書に加えられてもいいんではないかと思えるほどにミステリ界への挑戦状を叩きつけています。この作品、僕は買う前に書店で全部立ち読みで読破してしまったんですが、それでも買いました。それほどの引力を持ち合わせている、ミステリにしてアンチミステリの大傑作。
井上夢人といえば処女作「ダレカガナカニイル…」(これもアンチミステリの傑作でしたが))とか、エンターテインメントの極地に立ち戻った「オルファクトグラム」などが注目されがちですが、井上夢人文体がよっぽど気にくわないというのでなければ、全ミステリファン、アンチミステリファンにとって必読の書であると言い切ってしまいます。今まで読んだミステリ作品の中で、麻耶雄嵩の「夏と冬の奏鳴曲」に、もしかしたら肩を並べられ得るかもしれない唯一の作品です。


島田荘司 「異邦の騎士」

「陽気なやつでも聴こうよ」


僕が現代ミステリにはまった最大の切っ掛けがこの作品でした。ミステリなのでネタバレは避けます。今読むとベタな感じもあるんですが、ルサンチマンを内包したロマンティシズムを描写した小説としては未だに最高峰といえる小説です。新本格ミステリの原典にして誰もが越えられない壁として君臨し続ける作品。エロゲ界におけるクロスチャンネル、というと言いすぎかも知れませんが…

サブリミナル・ミュージック・イン・マイ・ブレイン状態

毎日に喜びを見いだせません。
機械のように働いて飯食って寝てまた働いています。
これではいかん、いつも唇には歌を、と思い仕事中にもがんがんR.E.MやJellyfishなんかの懐かしい歌を口ずさんでいます。今期はあまりアニメを見ていないせいか、アニソンは少なめです。たまにシドニアのOPを高らかに歌い上げてたりはします。
そういう音楽にすがるような生き方をしていてふと思い出したのですが、みなさんにはこういう経験はないでしょうか?
たしかに知っているが思い出せない曲。なんならサビぐらいは口ずさめる、歌詞も断片的に覚えている、なのに曲名はおろかアーティストすらまったく思い出せない。で、思い出せないまま忘れてしまえるならそこまでのことで済むんだろうけど、なぜか忘れられずに何年も頭のどこかに居座り続けていて、なにかの拍子にメロディを思い出す。でもやっぱり誰のなんという曲なのか思い出せない。うろ覚えの曲名を検索しても、SHAZAMなんかのメロディ検索アプリで歌ってみても、ぜんぜんピンと来ない。もちろん自分が作った曲でもない。
たとえば味覚であったり嗅覚であったりがきっかけになって突然その曲を思い出す、などというプルーストの小説みたいなことが本当にあります。別に紅茶とマドレーヌでなくてもいい。
雨上がりのアスファルトの匂い。
夏の日のアイスキャンディのガリッとした冷たさ。
ひさしぶりに飲むジンジャーエールの後味。
たぶん単体ではないんでしょう。こういう季節で天気で体調で心境で、など様々なファクターが組み合わさって「ある曲」を思い出させる状況を作り上げるのだと思います。そこにどういった脳のメカニズムが働いているのか、ということに僕はあまり興味をいだけません。どうでもいいです。
ただ、そういう状況に陥ったとき、なぜだかものすごく感動します。その「ある曲」が、どうしてそういう状況になるまで思い出せなかったのか不思議なくらい、自分にとって大切な曲であることが多いからだと思います。あのときあの曲を聴いていなかったら今の自分はなかっただろうな、と思えるほどに大切なその曲をそれまで思い出せなかった自分への忸怩たる思いもありますが、8割方はポジティブな感動をもたらしてくれます。思い出させてくれてありがとう、なんて誰にとも知れずお礼を言いたくなったりもします。神はいないので神様ありがとうとは思いませんが。


さて、前置きが長くなりましたが、僕はこういう現象を「サブリミナル・ミュージック・イン・マイ・ブレイン状態」と呼んでいます。わかる人にはわかると思いますが、ナンバーガールの「サッポロ OMOIDE IN MY HEAD状態」というライブアルバムのタイトルと、あと色々何かしらからちょっぱってきた命名です。

ライヴ・アルバム ?サッポロ OMOIDE IN MY HEAD 状態

ライヴ・アルバム ?サッポロ OMOIDE IN MY HEAD 状態

まあ「名前などどうでもいい@寄生獣」という名言もあります。この際ネーミングはさておいてください。
要するに今回は、僕が過去に「サブリミナル・ミュージック・イン・マイ・ブレイン状態」のおかげで思い出した名曲を少し紹介してみようかという、ただそれだけの思いつきです。
田中ロミオの「犬と魔法のファンタジー」についてはたぶん次回書きます。


「世界でもっとも重要なロックバンド」と言われたこともある、アメリカの至宝R.E.Mの、おそらく日本ではトップ3に入るくらい有名な曲です。日本で有名なのは、村上春樹が著書の中でこの曲に言及しているからという理由もありますが、ここではとりあえず無視します。村上春樹が大嫌いだからです。お前みたいなもんにR.E.Mの何がわかんねん、とすら思います。
さておき、この曲はR.E.Mが2001年にリリースしたアルバム「REVEAL」に収録されていて、シングルカットされたのかどうかは思い出せませんが、手の込んだPVとこれまでにないポップな曲調により、日本ではいまいちパッとしなかったR.E.Mというバンドを一般的に知らしめた一助であったと記憶しております。一時はFMラジオなんかでもアホみたいにヘビーローテーションされていました。
でも僕は「REVEAL」というアルバムが好きになれず、この曲もまあいい曲だけどR.E.Mらしくないな、あんまり好きになれないな、ぐらいにしか思っていませんでした。前作「UP」があまりに地味なアルバムで、ああもう枯れちゃったのかこのバンド、なんて思っていたせいもあったのでしょう。
そんなわけでずっと記憶の片隅にしかなかったこの曲をふと思い出したのは、2003年頃、大阪アメ村の商店街をぶらぶらと歩いていた時のことでした。その当時の友人が働いていた服屋にふらっと立ち寄って、何を探すでもなく、たぶんTシャツか何かを物色していたとき、この曲のサビが耳に飛び込んできたのです。未だにどうしてなのかわかりませんが、ほとんど膝から崩れ落ちそうになるぐらい感動しました。この曲は凄い、どうして今までこの素晴らしさに気づかなかったのか、と。服を買うことなんかまったく忘れて、呆然と立ちすくんだまま聴覚だけが鋭敏になっていたことを昨日のことのように思い出せます。
しかしそのときの僕は間抜けなことに、曲名もアーティストも思い出せていなかったのです。絶対に知っている曲なのに!ああもどかしい!
で、その店員の友人に尋ねてみました。
「この曲なんやっけ?」
返ってきたのは、
「さあ?有線垂れ流してるだけやから」
というアホ丸出しの無責任な言葉。殺したろか!
いやもちろん殺しはしませんが、あまりに腹が立って店を出ました。今思えば、そのときすぐに有線のチャンネルを教えてもらって問い合わせれば曲名がわかったはずなのですが、そんなことにはまったく頭が回りませんでした。アホ丸出しなのは僕の方です。さらにアホなことに、僕はその曲を思い出すことをすぐにあきらめてしまったのです。今とは違い楽曲検索アプリなどもなく、とぼしい英語力では聴き取れる歌詞もほんの少しだけでしたし、これではどうにもならない、調べようがない、と思い込んでしまったのです。しかしこのときの僕は楽観的でした。こんな素晴らしい曲なんだから、すぐに思い出せるだろう、すぐにまたどこかで耳にすることがあるだろうと。
その後、何かの拍子にメロディを思い出しつつも、結局誰の何という曲かまで思い出せない、ということが何度もあって、メロディと曲名、アーティスト名が一致したのが、それから約3年も後のことでした。
2006年の夏、僕は再びアメ村の同じ店に立ち寄ろうと思い立ち、ぶらぶらと歩いていました。アメ村を散策するのがかなり久しぶりのことだったので、街並の変貌ぶりに驚きながらその店があった場所に辿りつくと、そこは空き地になっていました。
滅茶苦茶驚きました。
「嘘やろ?」と口に出していたかも知れません。え?なんであいつ教えてくれへんかったん?
急いで友人に連絡を取ろうと電話をかけてみると、
「その番号は現在使われておりません」
はあああっ!?
いやたしかに2年ぐらい会ってもなかったし連絡もなかったけど……ええええええっ!?
ショックでした。自分はあいつにとって携帯変更と共に切られてしまう程度の関係でしかなかったのか。会うことは少なかったけど、けっこう気の合ういい奴で、何度も飲みに行ったりもしてたのに。この服屋にも愛着があったのに。小さな店だけどアメ村の数あるセレクトショップの中でもちょっと異彩を放つ商品のチョイスがお気に入りだったのに。あとたしか3年ぐらい前にここで聴いたのがきっかけでR.E.Mの「Imitation Of Life」という曲の素晴らしさに気づけたのに。


…………って、あれ?


そうや!あの曲R.E.Mや!思い出したぁっ!!たまーに脳裏をよぎるあのメロディは「Imitation Of Life」やったんや!!
そこでようやく一致。さっきまで友人が音信不通になってしまったことを嘆いていたことなんて忘れてガッツポーズ。めでたしめでたし。
……とは流石にならず、友人が当時付き合っていた彼氏にも電話してみましたが、「俺らもう別れたから知らん」ととりつく島もない態度。どうもあまりいい別れ方ではなかったらしく、あまり突っ込んで訊くのもはばかられたので、とりあえず取り繕うように礼を言って通話終了。さてどうしたものかと思いながら、その当時まだ存在したアメ村のタワーレコードに立ち寄り、R.E.Mの「REVEAL」を買い求め、ウォークマンで「Imitation Of Life」をリピートしながら家路につきました。
以来、その友人とは未だに連絡がとれていません。
僕は友人を一人失ったかわりに、死ぬまで聴き続けるであろう名曲を思い出しました。
というとっちらかったお話。なんなんでしょうね、これ。書いててまったくカタルシスが得られません。思い出してスッキリ!な話のはずなのに。なんかすみません。


後日談。この日(2006年の7月下旬頃)CDを買ったアメ村のタワーレコードは、この直後2006年8月に閉店し、今ではその場所にまんだらけの場違いなビルがそびえ立っています。
アメ村のタワーレコードが大好きだったこと、あのときの友人のこと、色々な想いが交錯して嫌な気分になるので、まんだらけのビルはなるべく視界に入れないようにしています。

Reveal

Reveal

フェミニズムとパンクロック

今期アニメが面白くない!
どうも負け犬です。
フェイト、シドニアユーフォニアムという外れ様のない三本柱が存在した前期とは打って変わって葬式ムードの様相を呈してきましたね。ガッチャマンクラウズはやっぱ面白いけどと、今のところ前期の神アニメ「響け!ユーフォニアム」が終わったショックを隠せない39歳の夏です。ぼやぼやしてるとバカボンのパパに追いついてしまいます。やべえ!
さておき、今回も最近読んだ本とか紹介していきます。

明日の狩りの詞の (星海社FICTIONS)

明日の狩りの詞の (星海社FICTIONS)

「他の獲物のように愛しいとは感じなかった。殺したことに対する罪の意識もなかった。あんなのはすべて余裕あるときのかっこつけだと知った。今の俺は空っぽだ。殺意が消えて、あとはもう何もない」


何度も言いますが、僕が一番好きなライトノベル作家石川博品の(おそらく)一冊完結ものの小説です。最近話題になった漫画「ダンジョン飯」に似た傾向の作品と言えるでしょう。石川先生の叙情的な文章と心情描写のせいか、あまり「ダンジョン飯」と同系統の作品という感じはしませんが。むしろ小川一水の諸作品に似た読後感がありました。
物語の舞台はSF的パラレルワールド、現代とは常識の違う世界。だけどサイバーパンク的な荒廃感は薄く、アニメで例えるならNiea_7の世界に近しいものと言えばいいのか。そういった世界での、将来のビジョンも持たず、外来生物を狩ることにしかアイデンティティを見いだせない高校生主人公の成長物語。ライトノベルというより正統派ジュヴナイルといった趣の、最近ではあまり他に類を見ない小説です。
この作家はいつもそうなんですが、正統派私小説文学的なリリカルさを強烈に感じさせる地の文と、ネットミームを中心とするパロディをふんだんに散りばめた会話パートのギャグセンスのバランスが絶妙な作品。
あとこの人は、フィクションに於ける「女性性」の描き方がものすごく絶妙で、最初僕はこの人を女性作家だと思っていたぐらいです。
この作品に限らず、いつかアニメ化して欲しい作家No.1。


がらっと話は変わります。
Nirvanaの代表曲「Smells Like Teen Spirit」をカバーしているアーティストは多数いますが、声優の後藤邑子さんがこんなカバーを歌っているのは案外知られていないんではないでしょうか。
「パンコレ」という女性声優さんにパンクの名曲を歌わせる謎の企画アルバムがありまして、その大トリを飾る名カバー。賛否両論ありますが、というか否定的な意見ばかり聞きますが、僕はこのカバー大好きなんです。たぶん後藤邑子さんはニルヴァーナなんぞ欠片もご存じではないと思いますが、別に思い入れなんて無くても成立するカバーもあると思うのです。
セックスピストルズ、クラッシュ、ラモーンズ、グリーンデイ、オフスプリング、エクスプロイテッド(!?)といった謎の選曲を、門脇舞以田中理恵池澤春菜清水香里(敬称略)といった中堅どころの女性声優さんが萌え声でかわいらしく歌い上げる奇妙なカバーアルバム「パンコレ」。正直、買ってまで聴く価値があると思えるのはこの後藤邑子さんのニルヴァーナだけですが、こんなとち狂った企画を無理くり通してしまった情熱には敬意を表したいです。
ニルヴァーナがパンク?という野暮なツッコミは素人がばれるのでやめといた方が無難。
さてその流れでもう一曲。


こちらはごく最近知りました。原曲は英国のロックバンド、Manic Street Preachers。高名なポルノクイーン、トレイシー・ローズとのデュエット曲ということで発表時にもかなり話題になったんですが、話題ばかりが先行してしまい色物あつかいされている感の強い、悲しい名曲です。
これを歌うのは我らが歌姫KOTOKO
と、I'veの作曲家、高瀬一矢さん。
男性ボーカルが中心の曲なので高瀬さんがぐいぐい前に出て歌ってるんですが、これがなんとまあ素晴らしい歌声。I'veならではのオーバープロデュース気味な録音のせいもあるんでしょうが、KOTOKOにまったく引けを取らない歌唱力と豊かな表現力でこの名曲を歌い上げてくれています。
先ほど紹介したニルヴァーナとは違って比較的原曲に近いアレンジですが、I'veらしいアップテンポで元気が出るような曲調。KOTOKOの「ハヤテのごとく」を少し思い出させてくれます。
この曲は歌詞も凄く良くて、90年代を代表するラブソングだと僕は思っています。対訳歌詞付きバージョンがニコニコ動画に上げられていますので、興味がある方は探してみて下さい。
いつかこれと「Ever Stay Snow」を繋げたDJをやってみたいなあ…

殺しにきたぜ I Love You

時代が俺に追いついたんじゃない!
俺がブログに追いついたんだ!


はい、5年ぐらいぶりです。
ちょっと燃え系ロボットアニメの名言風に始めてみましたが別に意味はありません。

最後に日記書いてから5年……色々あったような、特に何もなかったような…


一番大きな変化は、紙の本を(ほとんど)買わなくなったことでしょうか。
Kindle for PCが神アプリすぎて生活費ギリギリまで追い詰められたりしています。
まあそれ自体は紙の本買ってた頃とそんなに変わらないんですが、物理的に場所をとらなくて、思い立ったときにすぐ読める、という電子書籍の素晴らしさを、Kindle for PCであらためて実感させられました。

スマホで本(特に漫画)とか読むのはせせこましくヤだなあ。
だからってタブレットとかKindle端末買う気にはなれないなあ。
だって絶対すぐ使わなくなるもんなあ。
と、そんな風に考えているようなぬるいユーザーにこれでもかとばかりに突きつけられたのがKindle for PC。
スマホタブレットで読むものだった電子書籍がPCで読めるというだけでなんだこの開放感は…?
ララァ、わたしをみちびいてくれ……(白鳥の群れをおいかけて溺死)


まあそんなわけで、Kindle版が出てる本以外、ほとんど買わなくなりました。
紙で持ってる本もKindle版出てるのはバンバン買い直して、かなりの数の紙の本を売ったり捨てたりしました。
しかし本を手放すというのは何であんなに辛いんでしょうか。
身を切られるような、というのはまさにアレですね。
マジで失恋と同じぐらい凹みますね。
で、後ろ髪をぐいぐい引かれる想いを振り切ってブックオフに……持って行ったら300冊で800円だったりしてさらに凹んだり。

こういうのは愚痴になっちゃうんでやめましょう。
ともかく、紙媒体でしか出てない本はほとんど買わなくなったのですが、「ほとんど」ってなによ?
買うのもあるんかい?
というのが今回のテーマ。というかなんというか。

本の重みで傾きつつある我が家の事情を顧みず、それでも買ってしまった、数少ない紙の本から何冊かご紹介してみます。
(買った当時はKindle版が出てなかった、というパターンも含んでいます)


こんな感じで、小説とか漫画とか映画とか音楽とかについて、またちょくちょく何かしら書く予定です。
よろしくお願いします。


「眠る前に何かを期待していた。それが叶わないのを知っているから眠るのが好きではなかった。寝起きの辛さは失望の辛さだ」


僕が一番好きなライトノベル作家と公言してはばからない石川博品の、現時点での最高傑作。
吸血鬼が当たり前に存在する世界での、ありふれたボーイミーツガール。
だけどこんなに切ないのはなんでなんじゃあ!
この作品については、いずれまとまった感想を書くつもりです。
とにかく切ない。なのにさわやか。でもやっぱり切ない。
体温を感じさせるような地の文が素晴らしいです。


終物語 (下) (講談社BOX)

終物語 (下) (講談社BOX)

「馬鹿にできない。やっと、自分のために戦ったんだね――僕はきみを尊敬するよ、阿良々木くん」


はっきり言って惰性で読んでいた、かの有名な「化物語」シリーズの事実上最終巻。
あまり期待はしていませんでした。
戯言遣い」シリーズの無理矢理にもほどがある終わらせ方とか、おまえ終わらせてないシリーズいくつ抱えてんねんという不満とか、そもそもこの人の文章たまに(というよりけっこう頻繁に)マジで受け付けない、という根本的なアレとか、めだかBOXとか(笑)、不安材料だけは山ほどありましたし。
それでも、「化物語(上)」を最初に読んだときの驚きと感動、アニメも含めたこのシリーズへの愛着は大きく、とうとう最後までリアルタイム買いを続けてしまいました。
あまり期待はせずに。
そしたらめっちゃ面白いでやんの。
西尾維新のくせにちゃんと終わってるし!(超失礼)
まあまあ、正直なところ予定調和な感は否めませんでしたし、あいかわらずだらだらとメタな会話でページ稼いでる感は強かったですが、そんな不満を圧倒的にねじ伏せる「ちゃんと終わってる感」がやばかった。
「そりゃ最終巻なんだからちゃんと終わってるだろうよ」とおっしゃるそこのあなた、あなたは西尾維新という作家を知らない!
こんなにちゃんと終わらせられる人じゃないんですこの人は……!
収集がつかなくて終わらせられないというよりは「このまま終わるなんてベタすぎる」という想いから裏の裏をかいてかいてかきまくった挙げ句わけのわからない投げっぱなしエンドを選択しちゃう、という感じではあるんですが、毎回それに付き合わされる読者の気持ちにもなれよ。っていうね。
そんな西尾維新が敢えてこのエンディングを選んだというのが熱い。
「熱い」というのがこのシリーズの共通テーマだったので、順当な終わり方ではあったのでしょうが、「傾物語」あたりの迷走っぷりを見てると「またこいつわけのわからん終わり方させる気か…」という不安も積もっていましたので、最後にこの直球一本勝負というのは痺れました。
これがアニメになる日が待ち遠しいです。
何年かかんねんとかそういうことは言うな。
ちなみに僕がシリーズ中で最も好きなのは「猫物語(白)」、次いで「傷物語」です。
一番好きなキャラクタは羽川翼です。いや忍野忍………八九寺真宵俺の嫁……うっ、頭が………


「世界は喜劇になるでしょう」


今回紹介する中でもっともニッチと言えるでしょう。
「ある界隈では知られてるけど知らない人は徹底的に知らない」系の作家、王雀孫の小説デビュー作です。
わー、ぱちぱちぱち。
ちなみにこの「ある界隈では知られてるけど知らない人は徹底的に知らない」系の頂点に君臨するのが我らが田中ロミオであります。
…えーと、まあそういうことです。察しろ。
というのも何なので、ざっくり簡単に説明しますと、エロゲのシナリオライターさんですね。
シナリオを手がけたゲームの代表作として「俺たちに翼はない」(以下『おれつば』)、「それは舞い散る桜のように」(以下『それちる』)などが挙げられます。
いずれも傑作かそれ以上なので未プレイの方はすぐに買うように。
それちるはうっかり完全版の方買わないように十分気をつけましょう。


さて小説の話をしましょう。
…あんまし言うことないですね(笑)
知ってる人にはいつもの王雀孫節。
知らない人には「これを小説として出版するとか正気か…」というもの。
別に文章が特にへたくそだとか読みにくいということはありません。
多少のクセはあるものの、むしろ平易で読みやすい文章と言えるでしょう。
エロゲのテキストそのまんまであることを無視できるなら。
↑これね、けっこう以前から自分の中では大きな問題なんです。
いわゆるノベルゲームのテキスト(特にウインドウ内にテキストが表示されるもの)が、仮にゲームとしてのインターフェースを取っ払ったとしても、文章として小説として機能するのか、という問題。
僕はこれを某丸戸先生の同人小説になぞらえて「めもらるクーク問題」と呼んでいるのですが、実はけっこう根が深いのです、これは。
でもあんまり掘り下げると例の「ライトノベルにおける『わたくし』小説は文学として機能し得るのか問題」とかも絡んできて非常に厄介なのでひとまずスルーします。


「ある界隈では知られてるけど知らない人は徹底的に知らない」系の作家に触れると、こういうことばっか言ってて肝心の作品について何も語れていないことがよくあります。
この文章がまさにそうです。
まだ何も書いてないですね。
よし、内容紹介、します!


主人公(妹持ち)が変だけどかわいい上級生に出会って何やかんやいじくられます。


以上!
まさかの一行。
細部はもうちょい掘り下げられるんですが、今のところ細部が機能していない。
主人公兄妹にもう一人兄がいたり幼なじみの娘がアレだったりヒロインの母親がアレだったりするんですが、1巻の時点ではただの「思わせぶり」で、伏線にすらなっていないんです。
つまりただの序章。
キッズ・リターン」状態です。
終わるどころか始まってもないんだから語りようがないんです。
じゃあいつ始まるの?
そんなんワシが聞きたいわ!
絶対続刊出せよ!ダッシュエックス文庫には期待しとるけえのぉ!


と、これだけで終わるのはいくら何でもアレなので、王雀孫のキャラクタの描き方という点には触れておきましょう。
「それちる」の頃から少しその気はあって、「おれつば」で一気に花開いた感のある「ギャル属性」の描き方というところなんですが、
これがね!もうね!たまらんよね、折口君!
という感じで、ギャル萌えとかビッチ萌え要素がある数少ない同志達にとってヘヴンな感じに仕上がっていることだけは強調しておきたいです。
あ、かわわさんは別にどうでもいいです。


あとはまあ、そんなに特色といえるほどの要素はないです。
友ゼロ(友達がゼロ人)で露悪的で、でもちょっぴり自覚が足りない主人公くんはまさにラノベの主人公!といった感じで可もなく不可もなく、
友ゼロ(友達がゼロ人)なので妹と偶然ばったり出会うヒロイン以外ほとんど誰も出てこず、
一応部活ものなのに部活描写は一切なく、
要するに王雀孫のデビュー作ということ以外にあまり意味が見いだせません。
ま、まあ一巻だからね!まだ一巻だからね!

「翼をなくした鳥の詩」

https://soundcloud.com/makeinu_wonder/dogfood-wonder-mix-wav

星も見えない灰色の空睨み 翼が欲しいって泣いたあの子
街の喧噪が紡ぎ出すビッグビートに身をゆだねるように目を閉じる
聞こえてくる耳障りなフリースタイル それでも 何だか温かい
終わりのないララバイ で眠る 花と雨の匂いがくすぐったい
誰もがクソみたいに地べたに這いつくばってあの空見上げてる
「あそこまで飛べるはず」流れる涙は糧になんてならない
いつだって誰かの手の上 溜息すらとっくに枯れた
放たれた1つの出会いと別れが 僕らをここまで追い詰めたんだ

たとえばこんな物語
翼を探す終わらない旅
たとえばこんな物語
僕の声がそこまで届きますように
翼を探す終わらない旅

ないはずの翼がひどく痛む 薄笑いでやり過ごすのも疲れた
それでも笑ってなくちゃ あの奈落の闇が僕らを飲み込むんだ
見上げること止め、空の高さ忘れ 飛べるふりして群れに潜り込む
世界の底走り抜ける力 探し求めてただけだったんだ
気づかなかったみんな同じだった 君に会えてやっとわかった
誰もが翼を求め遠ざけ 唾し歯ぎしり行き来するだけ
終わらない終わりようもない旅の途中 栄光の向こうの霧は未だ晴れず
肩並べ空睨み吐き捨てる 俺の未来なんて俺が知るかよ間抜け

たとえばこんな物語
翼を探す終わらない旅
たとえばこんな物語
僕の声がそこまで届きますように
翼を探す終わらない旅

寒空に白い劣等感吐き散らしながら 君の声を微かに思い描いたりする
んだ
鈍い心だましだましあからさまに傷を隠し あやふやな優しさに心寄せう
つむいた
君が誰かと話す振りをしてた僕は気づかない 進み惑い止まり後ずさ
り膝をついた
大事なものだけはどうしても守りたかった 嗤い声に耳を貸していたくな
んてなかった
それでも赤い赤い悪夢が僕を連れ去る ハートビート刻むだけが生き
る意味に思えた
羽ばたくための言葉だからこんなにも詰め込む この胸に刻み込む きっ
と明日は飛び立てる

たとえばこんな物語
翼を探す終わらない旅
たとえばこんな物語
僕の声がそこまで届きますように
翼を探す終わらない旅

君の声
君の涙
君の痛み
君の笑い顔
僕の声僕の涙僕の痛み僕の笑顔なんて忘れた
空はやがて色失い 夜のしじまに飲み込まれるだけ
朝陽の色を思い出してる
「世界が平和でありますように」

僕のままでどこまで届くだろう


◆2008年12月14日(日)大阪公演@心斎橋 鰻谷sunsui
 「スイカ(夕方でも)夜話オオサカ」〜第3夜

  GUEST:Romancrew with SUIKA band style
  SOLO LIVE:タケウチカズタケ / toto  DJ:NAO(スーパークロイ)
  open16:00 / start17:00 adv.¥2,500 / door¥3,000 (drink別)


行ってきました。当日は昼過ぎにぐだぐだと起きて電車で難波へ。車で行こうか少し迷ったけど、ライブ後に飲む約束もあったので電車。着くまで桜庭一樹の「推定少女」読む。感想は後ほど。
難波着。とりあえず日本橋とらのあなでウロウロ。特に欲しいものもなく、あまり時間に余裕がなかったので早めに切り上げてK2レコードへ。キリコの新作、やけのはら、ケーボンなど借りる。この後いっしょに飲む予定のK2店長はいなかった。休みか。そろそろいい時間かな、と燦粋に向かう。途中、中国人らしき若者に片言の日本語で道を訊かれてちょっと困る。が、動揺はおくびにも出さず、滑らかに、速やかに、躊躇せずに勘で答えてにこやかに去る。
燦粋到着してビール飲んでると、すぐに「SUIKA夜話、はっじまっるよ〜」(誇張アリ)と声が聞こえてライブスタート。SUIKAはいつもビックリするほど段取りが良くて気持ちいい。良いイベントってのは一つ一つのライブの善し悪しだけじゃなくて、こういう細かい所まで気配りができてこそだよなあ、と、完全に上から目線の「何様?」的感想を思い浮かべながら、まずはタケウチカズタケのライブ見る。この人の演奏姿は本当に華がある。やってることはちょいジャジーなピアノ入りインストhiphopで、斬新なことをやってるわけじゃないし、めちゃくちゃ質が高いわけでもない。でも、このアクションとゆるいMCを交えられると、こんなひねくれた基本ナナメから目線の人間(たとえば俺)の胸なんかにもすんなり届いてしまうわけです。4曲だけの短いライブだけど、あいかわらず素晴らしい。大好き。
そして間を置かずそのままRomancrew with SUIKAバンド。ど真ん中最前列でかぶりつきで見る。もうなんというか本当に最高。演奏も3MCも全部が全部クッソヤバい。特にエムラスタの男気溢れるラッピンがツボすぎた。前回の夜話に比べて客の入りは結構さびしい感じだったけど、そんなことは気にならないぐらいクソ盛り上がって終了。
ここで少しインターバル。Kさんと日本語ラップの話とかしてると、またすぐにライブ再開。この長すぎず短かすぎずな間の開け方も何だかすごく気持ちいい。良いイベントってのは(略)。さて、次ははじめて見るTOTOさんa.k.aナノルナモナイの嫁のソロ。ライブで見るポエトリーリーディングってこんな感じか。韻やフロウにこだわらない、ストーリー仕立てのフリースタイルとでもいうか。で、そのままSUIKAの面々を呼んでライブに突入といった流れ。肝心のSUIKAライブは、「JUCY, FRUITY, SPICY, FUNKY」でいきなりトップギアに持って行った前回とは違い、メロウな曲でじわじわ盛り上げるスタイル。今回はタカツキウッドベース弾いてなくてラップ専業。代わりにエレキベースのメンバーが増えてた。当たり前すぎてあえてこんなこと言うのも失礼かもしれんけど、クソうまい。ぶっとくジャジーなラインで常にボトムを支えていた。グッジョブ。大好きな「ジョナサン」でのATOMのテンパリ具合いがやばすぎて悶絶したりしてる内にあっという間に最後の「キリンが星を食べる島」。この曲のちょっとニューウェーブ臭のするシンセの音色はマジでヤバい。オーラスの3MCが好き勝手にフリースタイル決めまくるパートとか鳥肌の連続。ぐわんぐわんに乗せられて終了。と思いきや、ここでRomancrewを呼び、全員でのセッション大会。会場にいたスーパークロイMCたちも呼ばれて次々とフリースタイル。ステージ上がマジで狭い(笑)。一人あたり20cm四方ほどしかないぐらいの超過密セッション。若手MCの中ではダメレコからCD出してたLION'S ROCKのフリースタイルがヤバカッタ。いっぺんスーパークロイも見に行こうかな。
全ライブ終了。したとこで丁度Tからメール。なんというナイスタイミング。そのまま流れるように合流。10年ぶりに会うSも交え三人で飲み。適当に入った焼鳥屋でぐだぐだ飲む。近況なんかの情報を交換した後、クソ盛り上がったのがホストクラブのオーナーであるSの体験談。「こないだEXILEと飲んだ」はガチのパンチライン。一番人気があるらしい坊主のやつはマジで調子に乗りすぎ、とのこと。芸人と飲むことも多いらしく、千鳥の二人が「これ事務所にばれたらヤバいっす」とがたがた震えていた話とかマジで腹筋が痛かった。あとやはりどうしても盛り上がってしまうのが音楽の話。Sがちょうどこの日ガンズの新作(笑)を買っていて、ガンズ全盛期だった頃の話がクソムゲェ盛り上がりを見せる。固有名詞だけ羅列すると、ガンズ、モトリーホワイトスネイク、テスタメント、ヴォイヴォド、エクソダス…。最近のバンドで名前出たのなんかCHURCH OF MISERYぐらい(笑)。こういう話はやっぱ楽しい。
二件目行くか、と次の店探してぶらぶらしてると、Sが一つの看板を発見。そこには「リッチーが誘う館」との誘い文句が。おいおい、まさかブラックモアじゃねえだろうな。いや、この写真はマジでブラックモアだろ。ちょっと入ってみるしかねえんじゃね?というわけでFLASHというその店に雪崩れ込む。
入ってみると、クソ狭い店内の壁に所狭しと飾られたオールドHR/HMのアナログ盤が我々をお出迎え。予想通りの雰囲気に三人ともテンション上がる。ブート含むDVDもやたらと数が揃えられていて、好きなのかけてもらえるとのこと。やはりガンズ。あえてモトリー。ここはパープル。いやツェッペリンも。侃々諤々の議論の末、とりあえずサバスだろ、ということで初期Black SabbathのブートDVD見ながら飲む。クソ盛り上がる(笑)。というかそのDVDがマジで良くて見入ってしまい、あんまり話もできない状態。ほぼ一本すべて見終えてツェッペリンに移行。このライブがクソな出来映えだったので会話が弾み始める(笑)。といっても店員のOさんを交えてただひたすらオールドロックの話。マイケル・シェンカーと伊藤政則の話がヤバカッタ。昔はこういう店も良くあったけど、まだ生き残ってるんだなあ(遠い目)。
そのあとモトリーのDVD見てるうちにいい時間になってきたのでお開き。二人と別れItoIに向かう。

◆A Son Of The Son "UYAMA HIROTO RELEASE PARTY" feat NUJABES
◆2008.12.14 (SUN) @アメリカ村 ItoI 
◆adv 3500yen w/1d : adm 4000yen w1/d
◆21:00〜5:00
NUJABES , UYAMA HIROTO , AFRA ,improve , TOKI feat L.N.B,and more...

このチケットの高さにカチンと来て迷ってたんですが、どうせもう終電も出ちゃったし、NUJABESは1回ぐらい見とくか、というわけで行ってきました。
やめときゃ良かった、と入ってすぐに思った(笑)。ItoIって初めてだったけど、クラブでこの大きさってのはあり得ない。広すぎ。低音を強調しがちなクラブミュージックをこんなだだっ広い場所で心地よく聞けるわけねえじゃん。案の定低音巻きまくりで最後までクソ居心地悪かった。出演者も客層もはっきり言ってクソ。「こんなんで出てきて恥ずかしくねえのかよ」「前のやつ、妙な動きをするんじゃねえ(@承太郎)」「チンコかゆい」などと思いながら心をこめて雑にライブ見る。ただ、入ってから3番手ぐらいに出てきたAFRAはマジでヤバカッタ。ファンタスティック。I.B.Bを連れず一人+サンプラーだけのライブ。次から次へと人間業とは思えないビートボックスでガンガンに攻め込んできて目が離せない。リアルタイムでビート作ってラップ乗せるのとか凄かった。あとサンプラー使わずに一人でビートとウワモノとベースライン叩き出す必殺のビートボックスは、生で見ると感動すら覚えた。
上を向いて歩こう」で締めたAFRAに変わってNUJABES。セット転換がマジでクソとろい。直前にSUIKA夜話見たから余計に感じるのかもしれないし、生バンドが多かったからある程度は仕方ないのかもしれないけど、NUJABES前のセッティングなんかは明らかにリハ不足なマイペースっぷりで、見ててイライラして仕方なかった。PAのわかってなさ加減もマジで半端なくて、音量の定まらなさとか音のバランスとか酷すぎるスキル。ただでさえ低音が巻く作りの箱でアホみたいに低音ブーストするせいで、最初のあたりウワモノとラップが聞こえないくらいベースが強い。なので前半に「luv(sic)」pt.1〜3まで全部ブッ込んでくるという媚び媚びな選曲が完全に裏目。なんかだんだんかわいそうになってきて後ろの方に下がっておとなしく見る。ヒットパレードな前半、Uyama Hirotoのサックスをフィーチャーした中盤、それに加えてnujabesがフルートを吹く後半、と言った感じのセット。音がもう少しましだったら楽しめたかもしれない。元々nujabesに限らずジャジーhiphopなんてキックやベースでガツガツ踊る感じじゃないのに、なんであんな音だったんだろう。とりあえずこの箱には二度と足を踏み入れないようにしよう、と自らに誓いを立てて帰宅。泥のように眠る。

++++++++++++


桜庭一樹推定少女
いまや直木賞作家として押しも押されもせぬ地位を確立した桜庭一樹の04年の作品。今回読んだのは角川文庫版だけど、ジャケット画像はあえてラノベテイスト溢れるファミ通文庫版。この人マジで大好きでほとんど読んでるんだけど、ラノベ時代も一般小説に踏み込んできてからもハズレが一作もないという希有な作家。「とらドラ!」の竹宮ゆゆこと並んで、もっとも注目すべき女性作家でしょう。んでこの作品もやっぱり面白い。「世界から逃れようとする少女meetsストレンジャー」という安心して読めるサクラバ王道スタイル。かと思いきや、なんとこの小説マルチエンディング(笑)。さすがラノベ出身者。3種類のEDは「少女vs世界」の観点から見れば「逃避エンド」「迎合エンド」「トゥルーエンド」とでも言うべきか。ただ、「沙耶の唄」で沙耶エンドがトゥルーと信じて疑わない「俺は人間をやめるぞジョジョーッ!」的な人間(たとえば俺)にとっては逃避こそが戦いなわけで、手に手を取ってネバーランドへ旅立つ逃避エンドのまばゆさはマジでこみ上げるものがあった。桜庭先生が最初に書いたのがこのEDだそうで、やっぱりこの人は間違えない、信頼できる、との認識を新たにさせられた。
直木賞受賞後初の長編「ファミリー・ポートレイト」もかなり変な作品らしいので今度買って読もう。